うつ病の情報なら|ゆううつ部 by U2plus

U2plusがお届けする、うつ病に関するアレコレ。

うつ病をカミングアウトするたったひとつの冴えたやりかた/U2plusストーリー⑤

今日はうつ病になり、実家で療養し、さて仕事をさがそう、というお話

 

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傷病手当金が切れてしまうので、生活のために仕事を探さなくてはならなかった。こんなことを考えた。

 

お金はどれくらい必要か
・生活ができればお給料は問わない(まずは生きるのだ!)

働けるかどうか
・残業がないことを前提にした雇用形態にする(契約、派遣、アルバイト、なんでもいい)
・集中力が切れると眠くなるので、寝なそうな仕事(果たしてなんだろう)
・田園都市線を使わずに通勤できる(2度と通勤には使いたくない)

起業の役に立つか
・新規事業をバンバン立ち上げている会社(できればウェブ系で)

 

仕事は企業サイトの告知を調べることにした。自社で募集をかけている採用の方がさくっと決まることが多いし、応募の競争相手も少ないだろう。

 

で、上場しているインターネット企業の応募を見つけたので申し込んでみた。巨大ウェブサービスを持ち、ほかにも多数の事業を立ち上げ続けている企業だ。内容は電話営業のアルバイト。人と話す仕事なら過眠気味のぼくでもオフィスで寝る、もしくはフリーズするという失態を犯さなくてすむだろう。

 

友人は「あの会社?ハードすぎて今度こそお前死ぬぞ」と脅してきたが、アルバイトなら大丈夫。

 

珍しくスーツを着て、面接に向かう。履歴書をだすと、面接してくれた若い社員のKさんが「あれ?この実績でアルバイトでいいんですか?」と意外そうな顔をしていた。「起業を考えていまして、働きながらもその準備をする時間を確保したいんです」と言った。嘘ではないからいちおうセーフではあるまいか。(実は一度うつ病を明かしつつ他社に応募したことがあるのだが、面接官にそれはひどいことを色々と言われてうんざりしていたのだ。)

 

面接がおわり、入口からでると携帯電話が鳴った。面接が終わって3分くらいしか経っていない。「Kです。是非弊社で一緒に働いていただければ幸いです」意志決定が早い!あっという間に仕事が決まってしまった。

 

引越をしたので、通勤時間は過労時代の片道2時間超から40分程度にまで短縮された。ルーティンの電話セールスも問題なし。はじめて電話をかけたとき、社名を名乗っている最中にガチャン!と切られてしまった。そこで「初のガチャ切りいただきました!」と周囲に言ったら、みなは「えらい心臓が強い新人が来た!」と思ったらしい。その後も成績は割とよかった。

 

ランチの時間になると、エクセルシオールにダッシュ。パンをかきこんで、45分昼寝をした。そうでないと体力が持たず、夕方になるころにはフラフラになるのだ。だから心優しい同僚たちからのランチのお誘いを断るのが心苦しかった。

 

仕事を得る、仕事がふつうにこなせる、というのは本当に幸福なことだ。実家で療養していたときは、果てしない自問自答以外なにもない生活だった。

 

そうしているうちに、営業以外の仕事も任されるようになってきた。キャンペーンの運用、広告管理系のタスク。仕事を任されるのはうれしい。しかし気がつけば、終電まで働くのがふつうになっていた。あれ?しんどいぞ?

 

部署の飲み会がある。みんなで調整して近所の中華料理屋さんで宴会をするのだが、ぼくだけ仕事があるので出席できない。夜中だれもいないフロアで、一人カタカタとキーボードを叩いている。あれ?この光景見覚えがあるぞ?

 

家に帰るころには再び身体をひきずるようになっていた。(このときにはもう精神科医・臨床心理士へのメール作戦を開始していた。)

 

苦しい働き方をこれまでもしてきたし、これからも続けるほかないのだろうか。

 

自分から仲良くしてくれていた同僚たちに珍しく相談してみた。実はうつ病なのだ。最近の働き方はしんどい。しかし重宝されているのもうれしいし期待に応えたい。みんなは口を揃えていった。「絶対に正直に話してみた方がいい」「とうどうさんの命に関わりますよ」。ぼくはもうこの時点で泣きそうになっていた。うつ病をカミングアウトする時は、涙がつきものなのだ。でも絶対にオフィスで泣いたりはしたくない。

 

ぼくはコンビニでマジックを買い、トイレでおでこに「うつ」と書いた。

 

そしてKさんのデスクに行った。「お話しがあります」といいながら、前髪を上げる。笑顔のKさん。ぼくの顔が真剣であることに気がついて困惑するKさん。「とうどうさん、ぼくは今、どんな顔をしていいのか、まったくわかりません」

 

それはそうだ。昔まだ元気だった時、おでこに「モカ」と書いてスタバに行き、ラテを注文した時も店員さんは困っていた。でもこの方法以外思いつかなかったのだ。

 

さて、と仕切り直し、「ぼくはうつ病で、今の業務量は厳しいんです」と話すと、驚きながらもしっかりと受け止めてくれた。結局今の仕事を割り振って、残業はなくなることに。「でもとうどうさん、もうおでこに何か書いて出社しちゃだめですよ」

 

こうして、うつ病持ちが働くうえで最も気に病む、職場でのカミングアウト問題を乗り越えたのだった。

 

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マスタードの種とセレンディピティ。U2plusストーリー④

今日は仕事をしはじめてから、ビジネスプランコンテストに出会う話。

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ナイチンゲールは言う。

 

物事を始めるチャンスを
私は逃さない。
たとえマスタードの種のように
小さな始まりでも、
芽を出し、根を張ることがいくらでもある。

 

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そうして訪れた静かな日々の中、オフィスで隣の席のKさんからチャットが来た。「ビジネスプランコンテスト。」という一文と、ふたつのURL。片方はサイバーエージェント主催(たしか)。一方はスカイライトコンサルティング主催。それぞれ過去の受賞歴を調べてみると、どちらも立派なサービスだ。ソーシャルゲームやクラウドソーシング。上場出来なそうな、うつ病サービスを許容してくれそうではない…と思ったところで、向田麻衣さんがやっているNPO「Coffret Project 」に賞金をだしているコンテストがあった。

 

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スカイライトコンサルティングの「起業チャレンジ」だ。賭けられるのはここしかない。賞金は最大で300万円。その日のうちに、小堀先生と中島先生に連絡をした。「見つけました!300万円獲ってきます!」

 

そして本当に優勝した。

 

2010年当時の僕はベンチャーキャピタルもアクセラレーターもなにもわからず(同僚が「とうどうさんVC行ってきたら?」と言ってくれても「バリューチェーンかな?はて?」という有り様。)、どう起業を実現すればよいのか曖昧模糊としていた。しかしどうにかチャンスを逃さないことだけはできた。

 

一体なにがナイチンゲールの言うマスタードの種だったのだろう。アルバイトの形でも、会社に入ったことか。起業すると周囲に伝えていたことか。それとも向田麻衣さんのことを調べたことか。起業チャレンジに申し込んだことか。

 

振り返ってみると、全てが連鎖して、ぼくをここまで導いてくれたように思える。それはとても心強くなり、人生は信じるに足るかもしれない、と感じると同時に、あまりにも多くの偶然によって構成されたこれまでの道が怖くもなってくる。

 

もし、違う会社に入っていたら?Kさんがチャットをくれなかったら?起業チャレンジが向田さんに賞金をだしていなかったら?

 

だが、あなたはセレンディピティを持っているのだ、と言われたら、ぼくは素直にうなずけるだろう。「ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運をつかみ取る能力」。

 

偶然。幸運をつかむ。そしてそれは能力。ぼくはうつ病になり多くのものを失ったが、生き続けていることで、自分の中核的な価値を損なわないでいられたのだ。いや、それはうつ病になってなお起業しようと決意したときに、はじめて身についた力だったのかもしれない。

 

人の資質は一定ではなく、病があってもなお、いずれかの方向に発展し続ける可能性があるだ。

 

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旅のはじまりはいつもひとり。U2plusストーリー③

今日は、うつ病になって1年療養したあと、再び働き出して、起業しようかどうしようか、という時のこと。

ひとりの患者が何をどう考えて(勢い余って)起業を決めたのか、というお話。

 

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「うつ病患者の孤独と、インターネットの相性は絶対にいい。なにかができる」そう思いつつも、ぼくはただの患者だった。起業するにはなにもかもが足りない。それどころか会社に行くのもやっとだ。初台駅に着いてからオペラシティのベンチで、今日はしんどすぎるから休もう、いや、出社しなくてはいけない…と逡巡を毎朝繰り返していた。全然休まなかったが。

 

そもそも、サービスを立ち上げて世に問うには、日本中に「本名と顔を晒したうつ病患者」として生きなくてはいけない。過去のこととしてカミングアウトするのであればいざ知らず、そんなリアルタイムのうつ病患者はみたことがない。会社にもカミングアウトしていないのに。

 

起業するのに躊躇うひとは多いだろう。うつ病を患っていたぼくには、事業の成否よりも、弱り果てた自分を社会全体に晒すということの方が恐怖だった。ヒトモノカネがない、というレベルじゃない。スタートアップするかどうか以前の問題だ。

 

それでも、ある夜に覚悟を決めた。今回の生涯はこれに賭けよう。人生が失敗しても、ぼくを事例にしてもらって、次の人(当事者でも医療従事者でもNPOでも行政でもいい)が立ち上がるかもしれない。そしていつか、誰かが成功し、巨大なうつ病に一撃をお見舞いするだろう。それでいいじゃないか。

 

野田智義さんは語る。

 

しかし、村で暮らすあなたには、何か抑えきれない気持ちがある。遠く目を凝らすと、沼と森の果てに、ほのかな光が見えるような気がするのだ。…あなたは沼に1歩を踏み入れる。水は冷たく、よどむ泥がその深さを隠し、周囲の闇が身体を包む。不安や恐怖が頭をかすめ、思わず身がすくむが、それでも、沼を渡り森を抜けたい、青空を見たい見せてやりたい、と思う気持ちがあなたに歩みを続けさせる。

 

誰かが代わりにやってくれるのであれば、喜んで席を譲りたい気持ちだった。しかし僕はほのかな光を見てしまった。そして周りを見渡しても、同じ光を見ているひとはいなかった。ならば出発しなくてはならない。

 

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最初にやったのは、サービスを一緒につくってくれる医療関係者をさがすこと。一介のうつ病患者だけでつくったサービスを、困っているうつ病当事者に提供するなんて危険なことは絶対にしたくない。そして、できればサービスのベースはエビデンスがあればなおいい。というわけで、ぼくは、ウェブで情報を公開している精神科医、臨床心理士の名前と連絡先リストをExcelにまとめた。なんの伝手もないので、Google先生しか頼れるものはなかったのだ。そして仕事から帰ったあと、ひたすらメールを送り続けた。

 

「ぼくは患者です。インターネットをつかって、うつ病の人向けにサービスを提供したい。こんなことやあんなことを考えています」

 

このやり方は新しい仕事が役に立った。営業リストをつくる。電話営業する。スクリプトを練るのサイクル。断られることには慣れていた。電話営業なんて、名乗った瞬間に叩きつけるように受話器を置かれる「ガチャ切り」が当然の世界だ。それでもお客さんが「いいよ!」と言ってくれる成約率、コンバージョンレートはチームでかなりいい方だったし(仕事に就く前に、電話営業の本を10冊読んだから)。メールでなら怖くもなんともないだろうという作戦だ。予想外だったのは、だれも返信をくれなかったこと。コンバージョンレート0の日が続いた。

 

そしてどれだけ日が経ったか。返事をくれたのが、当時千葉大学にいた小堀修先生。のちにU2plusを一緒につくり、監修を引き受けてくれる認知行動療法の専門家だった。臨床心理士に認知行動療法を教える、専門家の中の専門家。

 

いま真っ新な状態で新たにU2plusの監修をお願いするとしても、ぼくは小堀先生に連絡するだろう。世界中からスルーされていた僕に唯一言葉をくれたのがそんな小堀先生だった。

 

世界は偶然と必然で回っている。しかし出会いを引き寄せるのは「たとえひとりでもやる」という意志ではないだろうか。

  

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ノーパンのプレゼンで賞金300万円を獲得/U2plusストーリー②

今日はビジネスプランコンテストの最終審査の話。発病してから1年半くらいはしょってます。また働き出して、マリアを巻き込んでビジコンにでた、というとこから。

 

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というわけで気絶したりしながら「起業チャレンジ」最終審査当日に向けて準備をした。

 

スライドをつくる上で参考になったのは「プレゼンテーションZEN」だが、発表そのものに対しては、Scott Berkunの「パブリックスピーカーの告白」が多いに役に立った。彼は「アートオブマネジメント」の後に著した「イノベーションの神話」がヒットして、世界を講演してまわるパブリックスピーカーを職業にした人だ。様々なTIPSが語られているが、最も影響をうけたのは、プレゼンの時に緊張をほぐす方法だ。人は観衆を前にするとあがってしまう。これは人間の本能なのだから仕方がない。ではどうするか。「ひとにはわからないが、自分でちょっとおもしろいと思えること」を仕込んでおくといいよ、とスコットは言う。

 

なるほど、と素直にぼくはパンツを脱ぎ捨てた。

 

これは誰に言っても信じてもらえないのだが、「パブリックスピーカーの告白」ではノーパンでプレゼンすることを推奨しているのだ。たしかにオーディエンスからはわからないし、自分でクスっと笑えるところがある。

 

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当日、あがらないために様々な手立てを講じた。他の3組のプレゼンテーションが素晴らしかったら、プレッシャーを受けてしまう。だから一切見ない。別のチームがプレゼンをしている間、ぼくはマリアと近所のそば屋さんでとろろ蕎麦をたべていた。赤坂の蕎麦は高い。また、よりリラックスするために、シロクママークのマッサージ店に行って、身体をほぐしてもらっていた。


今思うとスカイライトコンサルティングの方々には「U2plusチームがいない…また倒れているのか」と心配をかけたかもしれない。

 

そんなこんなで、ようやく13時。ぼくたちU2plusの発表だ。もちろんノーパンのまま舞台に立った。

 

原稿は持たなかった。持ち時間は60分と長いが、話すべき内容は全て記憶して、その上で一旦全部忘れる。舞台の上で、お客さんの顔とスライドを見ながら、自分の自然な言葉で話したかった。もちろん、それは理想論であって実際は緊張や、ど忘れで難しい。しかし奇跡は起きた。

 

出だしから流れるように言葉がでてくる。怖いくらい順調だった。途中で、マリアにバトンタッチする。小堀先生と中島先生にいただいたU2plusを応援するメッセージを読み上げてもらうのだ。チームとはいえ、ふたりが交互に話しては学校の発表会みたいな印象を与えてしまう。だからマリアが話す機会はこの一点のみ。そしてマリアはしっかりと役割を果たしてくれた。再びぼくが話しだす。コンセプト、マーケティングプラン、財務計画を発表する。難所だった「チームにプログラマがいないよ問題」についても、アップルのウォズニアックの画像をだしつつ、「いま未踏スーパープログラマと交渉中です。ご期待ください!」と勢いで乗り切った。

 

プレゼンの最中、ひとことぼくが言葉を発する。すると、観衆が大きく反応する。そのアクションひとつひとつが、うつ病になって、まともに人と話すこともできず、恐怖と自己否定にとらわれていたぼくの心臓に染みわたった。しゃべり、お客さんが頷くたびに、失われていた自信が、空中から酸素となってぼくの肺に吸収されていく。

 

事前に用意していた発表内容は全て言い尽くした。残りの数分でぼくは思っていることをざっと吐きだした。こんな感じだ。「日本では毎年約3万人が自殺している。この数字はアフガニスタン戦争の死者より遥かに大きい。日本では今、見えない内戦が起きている。この戦争を止めるには、自殺の6割の要因になっているうつ病をなんとかしなければならない。うつ病のぼくたちにしか出来ないことがある。力を貸してください」。このとき、聴いている人の数人の目が潤んでいることも見て取れた。

 

このときよりよりいいプレゼンは、その後できていない。

 

結果はスカイライトコンサルティング「起業チャレンジ」最優秀賞。念願だった賞金の300万円を手にした。

 

その後、はじめてのノーパンプレゼンで力を使い果たしたぼくは、頭が重く抑うつ状態となり、懇親会の最中も控え室のソファに寝かせてもらっていた。マリアは祝杯をあげる相手もいないまま、たくさんのお客さんの相手をしていた。スカイライトコンサルティングの役員たちは「彼に賞をあげて、ほんとうによかったかな」と口々に不安を語ったと後に聞く。

 

 こうして起業への道は開かれた。

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ウェルカムトゥディプレッションワールド!U2plusストーリー①

いつの間にか、U2plusの会員登録者が1万人を超えていた…

という訳で、これを期にこれまでの色々を綴っていこうと思います。

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現在のU2plusのスマホ版トップページには「Welcom to U2plus!」の文字が躍っている。デザイナーさんに依頼したのはぼくなのだが。

 

気がつけば、プライベートも仕事もうつ病の世界にどっぷりとつかってしまった。
僕がうつ病の世界に足を踏み入れたきっかけを記そうと思う。

 

大学も中退しているし、仕事を探さなければいかん、という訳で、ぼくが選んだのは当時流行っていたケータイサイトを運営する会社だった。ぼくの会社選びの基準は「政治よりもよりビジネスに近い文化がある業界であること」「さらに、最も若い業界であること」の2点。

 

ジェインジェイコブズというアメリカの思想家・活動がいる。彼女は著書「アメリカ大都市の死と生」でル・コルビュジエに代表される計画的に設計された街造りを否定した人物だ。

 

ぼくが好きな彼女の本「市場の倫理・統治の倫理」ではざっくり言うとこんなことがかかれている。世の中の組織や思想は大きくふたつのカルチャーに別れる。市場と政治だ。そして、それぞれの文化では、規範となる倫理体系が真っ向から対立する。たとえばこんな感じ。

 

市場:契約を守り、ひたすら工夫して、win-winで取引しよう
政治:縄張り/伝統/上下関係を重視し、ゼロサムで取り合おう

 

会社で言えば、重厚長大な大企業、あるいは中小でも歴史の長いところは政治寄りの倫理体系が強いだろう。

 

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ぼくは性格的にも政治的カルチャーには全く向いていないと判断したのだ。
また、せっかくだから、上役がつまっていない、新しい産業に行ってみようと思った。それはつまりIT業界で、さらにその中で新しいとなると、必然的にかどうかはわからないが、ケータイサイト運営会社だった。

 

結局選んだ&受かったのは、スポーツのサイトその他を運営する企業だった。

 

最初に驚いたのはパソコンにフロッピーディスクの入口がないことだった。ぼくのパソコンの知識は中学生の時のままだった。大学時代にレッツノートをもっていたが、なぜだかUSBメモリを使ったことがなかったのだ。

 

そんな、どう考えても使えない新入りだったが、広告の枠管理から始まり、気がつけば仕事はどんどん増えていった。ユーザーサポート、サイトの更新、広告のUP、記事のライティング。このあたりはミスばかりして怒られながらも全然こなせた。しかし、不思議と社員が辞めていく。その度に新しい仕事が振ってくる。あっという間にサイト全体の運営を任され、取引先との厳しいやりとりやトラブルシューティング(毎日のようにあった)、サイトのリニューアル、docomoなどキャリアの対応、新しい広告商品の開発、新しいサイトの企画書の作成などなどをこなしていた。

 

かつては複数人のチームでサイトの運営にあたっていたのに、あっという間にぼくとアルバイト一人の体制になっていた。(ぼくが入った時にいた新規事業部のメンバーは誰1人いなくなっていた)その体制で3〜4サイトを見なくてはいけない。しかし当時は市場の追い風もあり、サイトを引き継いだ時には月間4000万PVだったスポーツサイトがいいときで1億3000万PVにも育っていた。もちろんアクセスが増えるように沢山施策をしてがんばったのだけれど。

 

なんだか順調そうだが、働くというのは大変だ。日々のルーティンワークが終わるとほぼ終電。そこから毎日新しく発生したタスクをこなすのでしょっちゅう会社に泊まる。「泊まれる」といい方で、けっこう徹夜もする。運良く帰れても、神奈川から勝ち鬨まで通勤していたので、帰って夕飯を食べると午前1:30くらい。土日はもちろんなくて、シフト制で勤務している同僚からは、「あいつも平日休みなんだろう」と思われていた。


スポーツサイトを担当しているという特性上、大晦日もお正月もない。格闘技とかサッカー天皇杯とか駅伝とかがあるから。忙しすぎて、見かねた取引先の人が「とうどうさんを励ます会」をやりましょうと言ってくれたりもしたが、当然ながら忙しいので出席できないのだ。

 

とはいえ、社会人とはこんなものなのかな、と勘違いもしていた。サイバーエージェントの藤田社長の本には「若い頃は毎日死ぬほど働いて、アパートにたどり着くときには気絶しそうになっていた」と書いてあったからだ。まさしく、気絶しそうになりながら、フラフラと帰り道を歩く日々だった。いや、帰らないで会社のデスクで寝ることも多かったけど。

 

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しょっちゅう「20代は死ぬほど働くべき。死なないから。自分は死ななかったし」という人がいるが、みんな真に受けない方がいいとおもう。妊娠した女性で、出産間近まで働いた人がドヤ顔で語ったりするが、それは陣痛が人よりたまたま軽かっただけだ。それと一緒で見本にする必要なんて無い。彼らは運がよかったのだ。それはいいことかもだけど、一般化すべきじゃない。

 

さすがにきついな、と思って人事部長に相談したこともある。「毎日のように会社に泊まって仕事をしている。どうにかなりませんか」と訊いたら「朝早くきてやればいいじゃない」とのことだった。いや、深夜も早朝も働いているのだ。日本語でコミュニケーションがとれない人だと諦めた。

 

ある日「地獄の田園都市線」で通勤している最中、窓に映る自分の顔が見えた。痩せこけて、目の隈はひどく、死人のような顔をしていた。そういえば長い間家族とは顔を合わせる時間がなく、友人の誰とも会っていなかった。常に頭が痛かったし、脳卒中になるのではないかと心配もしていた。そのとき「転職しよう」と決めた。

 

しかし、転職サイトに登録する前に限界を向かえてしまった。ある日曜日にいつものごとく出社すると、パソコンの前には座れるが、キーボードがたたけなくなってしまったのだ。その時は新しいサイトのキャリア向け企画書をつくらなくてはいけなかったのだが、指が動かない。おかしい、と思って簡単な作業をしようと思うのだが、それもできない。結局3時間以上パソコンの前に座ってフリーズしていた。中島らもの「心が雨漏りする日には」を思い出し、ああ、自分はうつ病になったのだと悟った。

 

職場から逃げ去ろうとしていたのだが、シューベルトの「魔王」の如く案の定、死神につかまった。こうしてぼくの現在に至るうつ病生活は幕を開けたのだ。

 

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