旅のはじまりはいつもひとり。U2plusストーリー③
今日は、うつ病になって1年療養したあと、再び働き出して、起業しようかどうしようか、という時のこと。
ひとりの患者が何をどう考えて(勢い余って)起業を決めたのか、というお話。
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「うつ病患者の孤独と、インターネットの相性は絶対にいい。なにかができる」そう思いつつも、ぼくはただの患者だった。起業するにはなにもかもが足りない。それどころか会社に行くのもやっとだ。初台駅に着いてからオペラシティのベンチで、今日はしんどすぎるから休もう、いや、出社しなくてはいけない…と逡巡を毎朝繰り返していた。全然休まなかったが。
そもそも、サービスを立ち上げて世に問うには、日本中に「本名と顔を晒したうつ病患者」として生きなくてはいけない。過去のこととしてカミングアウトするのであればいざ知らず、そんなリアルタイムのうつ病患者はみたことがない。会社にもカミングアウトしていないのに。
起業するのに躊躇うひとは多いだろう。うつ病を患っていたぼくには、事業の成否よりも、弱り果てた自分を社会全体に晒すということの方が恐怖だった。ヒトモノカネがない、というレベルじゃない。スタートアップするかどうか以前の問題だ。
それでも、ある夜に覚悟を決めた。今回の生涯はこれに賭けよう。人生が失敗しても、ぼくを事例にしてもらって、次の人(当事者でも医療従事者でもNPOでも行政でもいい)が立ち上がるかもしれない。そしていつか、誰かが成功し、巨大なうつ病に一撃をお見舞いするだろう。それでいいじゃないか。
野田智義さんは語る。
しかし、村で暮らすあなたには、何か抑えきれない気持ちがある。遠く目を凝らすと、沼と森の果てに、ほのかな光が見えるような気がするのだ。…あなたは沼に1歩を踏み入れる。水は冷たく、よどむ泥がその深さを隠し、周囲の闇が身体を包む。不安や恐怖が頭をかすめ、思わず身がすくむが、それでも、沼を渡り森を抜けたい、青空を見たい見せてやりたい、と思う気持ちがあなたに歩みを続けさせる。
誰かが代わりにやってくれるのであれば、喜んで席を譲りたい気持ちだった。しかし僕はほのかな光を見てしまった。そして周りを見渡しても、同じ光を見ているひとはいなかった。ならば出発しなくてはならない。
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最初にやったのは、サービスを一緒につくってくれる医療関係者をさがすこと。一介のうつ病患者だけでつくったサービスを、困っているうつ病当事者に提供するなんて危険なことは絶対にしたくない。そして、できればサービスのベースはエビデンスがあればなおいい。というわけで、ぼくは、ウェブで情報を公開している精神科医、臨床心理士の名前と連絡先リストをExcelにまとめた。なんの伝手もないので、Google先生しか頼れるものはなかったのだ。そして仕事から帰ったあと、ひたすらメールを送り続けた。
「ぼくは患者です。インターネットをつかって、うつ病の人向けにサービスを提供したい。こんなことやあんなことを考えています」
このやり方は新しい仕事が役に立った。営業リストをつくる。電話営業する。スクリプトを練るのサイクル。断られることには慣れていた。電話営業なんて、名乗った瞬間に叩きつけるように受話器を置かれる「ガチャ切り」が当然の世界だ。それでもお客さんが「いいよ!」と言ってくれる成約率、コンバージョンレートはチームでかなりいい方だったし(仕事に就く前に、電話営業の本を10冊読んだから)。メールでなら怖くもなんともないだろうという作戦だ。予想外だったのは、だれも返信をくれなかったこと。コンバージョンレート0の日が続いた。
そしてどれだけ日が経ったか。返事をくれたのが、当時千葉大学にいた小堀修先生。のちにU2plusを一緒につくり、監修を引き受けてくれる認知行動療法の専門家だった。臨床心理士に認知行動療法を教える、専門家の中の専門家。
いま真っ新な状態で新たにU2plusの監修をお願いするとしても、ぼくは小堀先生に連絡するだろう。世界中からスルーされていた僕に唯一言葉をくれたのがそんな小堀先生だった。
世界は偶然と必然で回っている。しかし出会いを引き寄せるのは「たとえひとりでもやる」という意志ではないだろうか。